親には子どもの感情を育てる義務がある?!
我が家の小学校3年生の女子は言葉で感情を表すことが苦手です。
具体的な対話の内容がこちら。
「公園で何してきたの?」
→ 「お友達と遊んできたよー」
「お友達と遊んできたのね!それは楽しかったね!」
→ 「楽しかったよー」
このように、私が言葉に出す感情については言えるのですが、特に自分自身が怒っている時や悲しいとき、そんな時には感情についての言葉もそうですが、それ以上に言葉自身が発せられなくなります。
「不機嫌なのかな?何かあったの?」
→ 「 … 」
「お家に帰ってくるのが遅くてお母さんに注意されたから不機嫌なの?
それとも何か別のことで不機嫌なの?」
→ 「 … 」
この場合は、自分の帰宅時間が遅くなってしまったことに対して自分が悪かった、と分かっていること、反省していることに対して私が注意をしたため、自分が約束を守れなかった不甲斐なさと、分かっているのに注意しないでほしかったという私に対しての怒りが無言に表れているのだと推測します。
「~が叩いてきた!!」
→ 「~に叩かれたの?!それは痛かったね。叩かれると嫌だよね~」
「うん…」
いわゆる兄弟げんかの一場面です。
状況の説明はできるのですが、それに対して感じるマイナスの感情・負の気持ちを、私が会話の中に織り交ぜるのですが、なかなか自分の言葉では出してくれません。
このようなことから、下の娘はまだ自分の感情が分かっていないのかも、自分の感情を感じることができていないのかもと思っています。
子どもが怒りや悲しみや恐怖や不安を感じることを避けることはできないのです。
なぜなら、それは生理現象だからです。
生理現象というのは、身体の反応ということを意味しています。
感情は身体の中を流れるエネルギーであり、それは意識でコントロールすることができない身体の反応なのです。
ここで大切だと思うのは、感情が表出できていない、自分の言葉で表現できていないことについて、小学3年生の娘はまだ言葉と身体の感覚がまだつながっていないということでしょう。
もしかして言葉として、単語としては知っているのかもしれません。
「悲しい」、「怖い」、「嫌だ」、「イライラする」、「ムカつく」 など私たち大人にとっては日常的に身体で感じて言葉として使うものが、彼女にとってはまだただの言葉なのかもしれません。
感情の表出が生理現象だとすると、それをがまんさせたら病気になってしまいますよね。
どうやら親には生理現象である子どもの感情を育てる義務がありそうです。
感情については人はどのように学ぶのか
人はどのように感情を覚えるのでしょうか。
例えば、子どもがブランコに乗っているとします。
その子供の背中を押してあげると、きゃっきゃっと大喜びするでしょう。風が気持ちよくて、ふわふわとした気分で大喜びです。そんな時、私たちは自然に「うれしいねぇ」「楽しいねぇ」「風が気持ちいいね」と、声をかけます。
子どもにとっては、自分の身体の中を流れているエネルギーの感じ、身体感覚と「うれしい」という言葉が結びつくという学習をしていることになります。
感情をあらわす言葉を獲得するためには、大人との相互作用がいつも必要なのです。感情は、身体の中を流れる混とんとしたエネルギーにすぎませんが、言葉と結びつくことによって、他者にそれを伝えることができるものになります。
子どもが感じている身体の感覚を大人が言葉として子どもに伝えることで、子どもは今感じている感覚は「うれしい」という感情なんだ、というように学習していくのです。
この大人との感覚と言葉のやり取りを繰り返すことで、子どもは新しい感覚と言葉を結びつけることができ、感じている感覚というものは、自分の中を流れるエネルギーでありそれを言葉として表現することが可能であることを学んでいくのでしょう。
このプロセスを感情の社会化と言います。
「うれしい」という感情が社会化されている人たちの間では、「うれしい」という言葉を使うと、その感情があらわす身体感覚を推測することができます。それによって、共感するということが可能になるわけです
そうなんですね!
感情を表す言葉を感情が溢れている状態で使うことで、子どもたちはその言葉が今の気持ちを表す言葉ということを感じることができるのです!
感情を共感し、それを言葉に出すことがとても大切なのです。
感情の言語化、感情の社会化と言われるのがこのことです。
私たちの大人の社会ではすでに「うれしい」という感情が共通認識としてあり、その感情が表す身体感覚を推測することで、その感情に共感する・共感してもらえるという仕組みが出来上がっているんですね。
子どもはというと、感情という共通認識を大人との言葉と感覚のやり取りで学び、それを自分の言葉として発することで、周りが共感を示してくれて初めて、自分の感情が自己一致し自己認知でき、共通の言語としての感情を体得したことになるんです。
KY(空気読めない)ぐらいの子の方が感情は育つ?!
親になってみて、子どもが親である私の顔色を見ていることがあることに気が付くことがあります。(たまに…、私が怒っているときとか…、イラっとしているときとか…)
ママ友との会話では、「将来はせめて場の空気が読めるおとなになって欲しいわぁー」とか話していますが、子どもに顔色をうかがわれている母親って結構多いのかなと思います。
最近は一番下の2才の子どもにも顔色をうかがわれているのが分かります。
上の子たちに怒っているときに、下の子が
「ちゃーちゃん?(おかーさん?)」
声をかけて顔をのぞきこんできます。
私が怖い顔をしているとずーっと「ちゃーちゃん?」と話しかけてきます。
怖い顔がなくなるまで話しかけてきます。
2歳の子どもに顔色をうかがわれ、機嫌が直るまでご機嫌取りをされて…
毎度、反省させられます。
繊細な子は親が何を望んでいるのかなどを汲み取る感受性も強く、親の期待に応える「よい子」に育ちやすいので、親はついつい油断しがちになるという危険が潜んでいます。
繊細な子の場合は、逆にかなり親が意識して、子どもが怒りや悲しみや不安などのネガティブな感情を抑え込んでいないか、ちゃんと表出できているのかを見てあげる必要があります。
我が家の2歳児は繊細な子なのかもしれません。
2歳児にして、親が何を望んでいるか汲み取る感受性も強く出ているのであれば、今後、特に注意が必要そうですね。
ネガティブな感情の代表である怒りは、今のところ素直に出してくれているので、今後も観察していきます。(ただのイヤイヤ期かもですが(笑))
子どもが泣いているときは抱きしめよう!
子どもの負の感情はたまに大爆発を起こすことがあります。
おやつをみせても、テレビを見せても、何をやっても泣き止まない。
まるで負の感情に支配されてしまったかのよう。
そんなとき、ちょっと抱っこしたりぎゅっとしたりするだけで泣き止むときがあります。
子どもの身体が不快な感情に支配されてパニックになって、泣いたり怒ったり、すねたりいじけたり、沈み込んだりしているときというのは、子どもの間隔としては危険にさらされているという感じなのです。
そういうときに、大きなパパやママの身体で抱いてもらうと、ネガティブな感情にさらされても安全でいられるという体験をすることになるのです。だから、怒りや憎しみや悲しみが溢れてきても、それを安全に抱えることができるように成長していけるのです。泣いているときに抱こうというのは、そういうことなのです。
怒りや憎しみなどのネガティブな感情がそのままむき出しの状態にあれば、それはとても危険な感情です。でも、大人が抱きしめることで、安心・安全によってネガティブな感情をくるむことができると、それは持っていても安全な感情としてコントロールすることができるようになるのです。
こんな時も子どもは感情の学習をしているのかもしれません。
自分では処理しきれない感情を、私たち大人が抱きしめることでその感情は自信で持っていてもいいんだ、安心・安全であることを、その都度学んでいるのでしょう。
生理現象である感情の表出を、子どもが表現したところをすかさず大人は言葉として表現して子どもに投げ返す
こんな感情のキャッチボールを大切にすることで、子どもの感情が豊かになるような環境の提供ができれば最高ですね!
参考文献
河出書房新社(2006)「ちゃんと泣ける子に育てよう」.大河原美以
日本評論社(2015) 「子どもの感情コントロールと心理臨床」.大河原美以