「守破離」と子育ての関係を考えてみた

「守破離」とは?

「守破離」という言葉を聞いたことはありますか?

読み方は、「しゅはり」です。

守破離は、茶道や武道、芸能などに置いて技芸やその精神を学んでいく際に使用されます。これは、学ぶ者が通っていくべき精神の過程を表した言葉で、この短い三文字には、人が学び、それを自分のものにしていくためのプロセスが凝縮されて示されているます。

そもそも高坂弾正昌信の「甲陽軍鑑」に記された兵法用語である、とか。
この段を千利休が読み、さらにこれを江戸千家・不白流茶道開祖の川上不白が「不白筆記」・横井淡所の「茶話抄」等で説き、『道』の指針となった、とも言われています。

 

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「守」
師の教えや在りようを忠実になぞって習得する段階のこと。

 

「破」
守から一転して、師から学んだことを脱し、教わったことに縛られずに他流のものさえ自在に取り入れていく段階のこと。

 

「離」
もはや守でも破でもなく、いずれのものからも自由になり、独自の境地に至る最終段階のこと。

 

 

「守破離」と子育て

この「守破離」、私は初めて聞く言葉だったのですが、調べていくうちに子どもを持つ親として、この守破離は子どもの成長段階と子ども以外のかかわり方を表しているなと感じました。

この世に生まれて、まずは親として子どもを「守」り育てます。そして子どもは、私たち親や兄弟の行動を見てまねして、そして私たちの後を忠実についてくることで、人間らしく生活できるような基礎を学びます。

その後、小学校に上がったりすることで、それまで親が師のようだったものが、学校の先生や習い事の先生と、子どもの師も増えます。また、子どもの生活圏や交友が広がることで、それまでの常識が家庭内のものであることに気が付いたり、新しい情報や知識の幅が広がります。そこで、子どもは師との相性だったり、それまでの自分の常識から、新たな情報や知識を自分に取り込むこととで、師の引力圏から懐疑的精神や反骨精神によって、周囲や自分に打「破」することになります。

自分という人間が成長するとともに、もはやこれまで守られてきた環境から「離」れることを選択し、破で持っていた師への反骨精神や反面教師としての意識も捨て去り、何者でもない自分の存在を認めて受け入れていくことになります。


「守破離」的子育てとわたし


3人の子どもたち、それぞれ「守破離」の段階でいうとどこにいるのでしょうか。

 

1歳児:
可愛くてしょうがない1歳児は、「守」です。お兄さんお姉さんの遊んでいる姿を見ては、それをまねしています。ボールを投げてみたり、車や電車のおもちゃを寝転がって走らせてみたり。
家庭の中で「守」り育てながら、お互いに共依存ではないけれど、依存している状態です。

 

6歳児女子:
小学校に入り、自分の世界が広がった6歳児女子は親の後をついてまわる幼児ではなくなりました。「守」と「破」の中間です。
大人のするようなおしゃれをしたり、かわいい子の髪型のまねをしたり、大人がお茶をするように、公園でお菓子を広げてお茶会をします。その一方で、お友達と約束をして、一人でお友達のお家へ遊びに行ったり、私が買ったお洋服を着たがらなかったり、親の用事に付き合うことを嫌がるようになりました。

 

9歳児男子:
小学校の中学年になり、好きな女の子もできて母の言うことが癇に障る回数が多くなってきた9歳児男子は「破」にどっぷりとつかりそうです。
学校での役割などから責任感を学び、親からの指図を拒否し、自分の意見を主張できるようになってきました。時には意見の対立からけんかになることもたびたびあります。人前では私と手をつなぐのを嫌がり、他人の目を気にするようにもなりました。

 

「破」の懐疑的・反骨精神が子どもから感じられることが多くなってきたのは、この頃、すごく感じるようになりました。その「破」の段階に差し掛かる子どもたちをなかなか受け入れられていない自分がいることも分かりました。
「破」の後に「離」があることが分かっていることで、これからさらに深まるであろう「破」の時期を乗り越えられそうです。
ホルモンバランスのせいでもある反抗期を、子どもと理解しあうために何ができるか考えてみますね。